袁術について
字は公路である。
豫州汝南群出身である。
生年月日は不明であり、死亡年月日は199年であるが月日までは不明である。
袁紹とは親類で、後漢の司空だった袁逢の子である。
虐殺から匡亭の戦いまで
何進が十常侍に暗殺後に、袁紹とともに宦官を数千名皆殺しにする。
董卓が洛陽に入京後に後将軍に任命されたが、董卓の仲間と思われるのを避けるために洛陽から荊州の南陽軍に逃れる。
荊州牧の劉表と不仲になると、袁紹に一族を殺された怨みを持っている公孫瓉と手を結び袁紹と敵対させた。
袁術配下の孫堅に劉表を攻撃させたが、孫堅は戦死し、劉表討伐は失敗に終わる。
その後、曹操の支配する兗州を攻撃したが、匡亭で撃破された。
戦場から逃げた袁術は揚州九江群まで逃げそこを拠点とする。
197年に寿春を都として自ら皇帝に即位するが、誰からも相手にされなかった。
その後、呂布や曹操と戦って敗れ、青州の袁譚を頼ろうとしたが、建安4年(199年)突然病にかかり病死している。
玉爾について
『三国志演義』では孫堅が洛陽の井戸から玉爾を見つけ、孫堅死後は長子である孫策が持っていた。
孫策は独立の為の兵を借りるために袁術に玉爾を渡した。
玉爾を得た袁術は皇帝へ即位した。
ブラウザ三国志での袁術
L袁術
全軍の大極攻令はスキルLvMAXで全兵、武将の戦闘時に、攻撃力234%アップさせる。
玉爾を手にしてまさに皇帝という絵柄である。
UR袁術は1枚もない。
SR袁術
虐帝の号令はスキルLvMAXでスキル発動中に同じ拠点から出兵する全兵と武将の攻撃力33%アップ、更に領地への忠誠心攻撃が87%アップする。
R袁術
練兵訓練はスキルLvMAXで練兵所の兵士作成時間が37.5%減少する。コストにより変動
いまや即完武将がいるのでスキルLvMAXでも37.5%アップしかならないのを育てる人はいないだろう。
合成の時の生贄でしか役に立たなさそう。
UC袁術
練兵修練はスキルLvMAXで練兵所の兵士作成時間が44%減少する。コストにより変動。
まさかまさかのR袁術より性能が良いUC袁術ですw
おそらくR袁術より後にUC袁術が登場したのだと思われる。
育成している袁術
育成している袁術を持っていませんw
まとめ
袁紹と親類でありながら対立したり、戦争においては連戦連敗であるので上に立つ器ではなかったのだろう。
それなのに玉爾を手にして皇帝まで上り詰めるあたりは父が三公であったので権力者になりたかったのだろう。
皇帝になっても周りに相手にされず滅びてしまう結果になった。